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リレーブログ:20 筒井 寛樹

ブログ愛読者の皆様、初めまして。第5回ブログを担当させていただく筒井寛樹と申します。


初回から続いております88年世代(最大の勢力を誇り、人々の記憶に残り続ける個性派揃いの代、但し自分達の記憶と物は失くしがち)のブログも今回が最後となります。宜しくお願いします。 いきなりとなり恐縮ですが、実はモスクワへの転勤が決まり、フクアリでの2連戦を最後に僕はこのチームを去り、サッカー選手としての第一線から退きます。

このブログを書いている今は7/27(mon)、僕に残された時間は13日と数時間です。試合時間にして180分。東京海上戦のキックオフの笛が鳴らされると、この180という数字のカウントダウンは再開されます。

そこで今日は今の胸中をありのままに書かせてもらいます。長くなってしまいますが、ご容赦いただき最後までお読み下さい。先ずは回想です。こうゆう胸中語る系には過去の振り返りが必須ですね。


思えば大学4年時にも現役引退を経験しましたが、その時の感情は今と少し違う気がしてます。当時は学生生活の全てを捧げたサッカーを終え、広い世界へ出て行くことに少なからず胸が躍っておりました。それに卒業後も希望すれば慶應BRBでサッカーができることも、自分に安心感を与えてくれていたのかなと今は思います。引退後はアルバイト、海外留学、学生旅行とそれまでできなかったことを始めてみました。

しかしながら、結局広い世界には飛び立てず、5年間という大学サッカー時代よりも長い間をこのチームで過ごしておりました。そして今は迫り来る引退をどう腑に落とすかに奮闘してます。夢のような時間から一人だけ先に冷めてしまうような、自分の大切なものを手放さなければならないような恐怖と闘っています。試合に出れていれば、まだこの恐怖も少しは和らぐものかとも思いますが、全社関東予選以降は怪我を繰り返し、思い描いたような引退ロードとは全く違った道を進んでおります。ここだけの話、プライベートの調子もよくありません。これは自分で撒いた種ですが、何とか想いが届くことを切に願っております。唯一順調に進んでいるのは、髪の色くらいで、着々とホームユニの色に近付いてますので、フクアリでは一目で『あー、あいつか』と気付いていただけると思います。


話を元に戻します。いつかは終わりがくることは分かっていましたし、日々全力で走り続けてこれたと思います。現に5月中旬に一度提出したブログ原稿内では、高らかに『思い残すことは何もない‼︎』と書いておりました。馬鹿でした。大有りです。まだみんなと一緒にサッカーしたいです。みんなで関東昇格を決めたいです。健太郎さんを『獅童コール』で飲ませたいです。


この5年間では数え切れないほど怒られました。交代選手として出場する前に胸ぐらを掴まれ喝!を入れて頂いたこともあります。根に持ってません。5年間で走らされた距離は思い出したくもないです。ある夏の暑い日に下半身の攣れるところを全部攣り、動けなくなったことがあります。集合時に選手の輪には勿論入れず、その後に訪れる恐怖に震えておりました。冗談です。去年からは同じ名字のトレーナーが加わりました。創造性に富んだ肉体破壊術を持つ彼には、いつか復習してやります。根に持ってますし、本気です。

社会人にもなって、まだこのような環境に自分が戻ってしまった理由、これは偏にこのチームでサッカーすることが、自分の人生にかけがえのないものになったからです。


何度悔しい思いをしても、僕はこのチームが好きだから、もっともっと成長できると思ったから、続けることができました。5年の間ではサッカー選手としてもそうですが、人として大きく成長できたと振り返ると思います。入部した当初はフワフワとしていたことは認めます。このチームにコミットする覚悟も責任感もありませんでした。しかしこのチームには色々な人の想いが詰まっており、その人達がこの環境を作り上げてくれたから、僕たちは数多ある社会人サッカーチームでは到底叶わない環境でサッカーができています。試合に出れるのは11人ですが、チームを作るのは全員です。一人一人がその状況において必要な行動を選択し、献身的に動けるからこそ、お互いの信頼関係は醸成され、一体感が生まれます。これが我がチームの最大の強さであり、このチームにいる以上はその役割を一人一人が担う必要があります。この尊さを教えてくれたのも、それが出来る人間になりたいと思わせてくれたのも、このチームの仲間であり、感謝してもしきれません。


この気持ちは怪我をして最後を迎えるにあってもブレることなく、僕の中にあります。試合に出れなくとも自分には出来ることがある、そう信じていられたからこそ、この2ヶ月これまでと変わることなく笑顔で皆の中に居ることができたと思いますし、前述しました引退への恐怖もみんなといるときは紛れてくれます。

残りの時間も自分らしくこのチームの為にできることを精一杯していこうと思います。勿論、最後まで試合に出ることは諦めてませんし、次も出る気満々です‼︎これは選手として、誰にも負けない武器があるからであり、それが絶対に必要な時が来ると強く信じれるからです。


長くなりました。つらつらと書いていたので、1日では終わらず、只今7/31(fri)の21時過ぎでございます。引退まであと9日と数時間。頭の整理は完璧ではありませんが、冒頭よりも明るい気持ちです。

皆様とフクダ電子アリーナでお会いできるのを楽しみにしております。


最後になりますが、これまで女で一つで子供3人を育ててくれた母ちゃんに感謝します。『片親だから◯◯ができなかった』とは言わせないよう、子供達の好きなことを全力でやらせてあげると決めて育ててくれたあなたの覚悟とそれを全うした情熱には、息子ながらあっぱれと言わざるを得ません。今では3人とも成人し、次男はオーストラリアで楽しく暮らしており、長女はウィンドサーフィンに学生時代を費やし、長男はあなたの見守る下でサッカーをしています。佳貴や加美と一緒にサッカーできたのも母ちゃんが家に招きいれてくれたからです。これからはスキューバダイビングでもテニスでも何でも好きなことをして、自分の人生を謳歌してもらえるが長男である僕からの願いです。週末の趣味であるサッカー観戦は僕がいなくても続くとは思いますが、それでも最後は勇姿とピッチでしか出せない笑顔を見せたいと思います。


長文にお付き合いいただき有難う御座います。今後ともLB-BRBへの熱い応援を宜しくお願い致します。


 


<監督コメント>

慶應BRB(現チームの前身)再結成当初の5~6年前、我々は、筒井に代表される「慶應大学時代には箸にも棒にもかからない選手」の集まりでした。しかし、そんな慶應ソッカー部雑草集団がチームをつくり上げ、今では、慶應のみならず他大学からも相応のレベルの選手達が集うに至りました。大学時代に脚光を浴びることがなかった者だからこそ、本当に魅力的で人を惹きつけるチームの「カタチ」を知っています。なぜなら、チームから心が離れそうだったとき、彼らを繋ぎ止めていたものこそ、チームの求心力の源だということを理解しているからです。チームに必要不可欠なものを見失うことなく、彼らはチームをつくり続けた。まぎれもなく、筒井はその功労者の一人で、今となってはチームに欠かせない存在です。オンザピッチでも、オフザピッチでも。


この5年間、筒井は誰よりも私に怒鳴られ、心折れた回数は自身のセンタリング成功回数を上回ると思います。

それでも筒井は走り続けました。誰よりも長い距離を誰よりも速く。

この5年間でチームのレベルも上がり選手層も厚くなりました。

にもかかわらず、年々試合出場時間が増えていったのは筒井くらいではないでしょうか。

何が彼を駆り立てたのかわかりません。そこまでやれるなら、大学時代からもっとやっておけよと思わずにはいられません。


その筒井がもうすぐチームを去ります。遠いロシアの地でボールを蹴り続けるのかどうかは知りません。しかし、おそらく競技としてのサッカーとはお別れでしょう。そんな状況は彼だけが特別なわけではありません。今までもそうでした。渡辺武彦(平成15年卒慶應ソッカー部主将/平成23年度慶應BRB主将)も、甲斐悠佑(平成22年慶應ソッカー部卒/平成25年度慶應BRB主将)も、藤村龍生(平成23年慶應ソッカー部卒/平成26年度慶應BRB副将)も、皆泣く泣くチームを去ったのです。社会人サッカーは永遠に続けられるようで、実に儚く、終わりは突然やってきます。だからこそ今という時間を大切にしなければならない。しかしながら、それを頭でわかっていても、なかなか実感できないもの。筒井は今まさにその現実を突きつけられ、訪れるであろう喪失感との向き合いに怯えているのだと思います。監督として、そんな彼にしてやれることは何一つありません。情で試合に出してやることもできません。勝負の世界は残酷です。そんな世界を彼が選んでしまったのです。


かけてやれる言葉は「もう俺に胸ぐらをつかまれることも、怒鳴られることもないぞ。」くらいなもんでしょうか。

ただ、彼は知らないでしょう。胸ぐらつかんでも怒鳴り倒してもついてきてくれた選手に対する監督の思い入れを。また、いかなる事情であれ、たとえそれが社会人サッカー監督の宿命であれ、そんなかけがえのない選手を失う監督の哀愁を。そんな世界を私も選んでしまったのです。






※写真解説

母の日プレゼントであげたサングラスとアウトレットで購入した麦わら帽子。佳貴からは高品質の日焼け止めを貰い、最近は紫外線対策バッチリで試合観戦。