リレーブログをご覧のみなさん、おはようございます。
今回ブログを担当させて頂きます”最近練習終りから帰宅までのスピードはチーム一”との呼び声高い、愛媛みかん大使(自称)こと加美義人です。
“顔面爆撃機”三上部長のもと、レクリエーション補佐も務めさせて頂いておりますが、決して無理をして頑張っている訳ではございません。若く恥ずかしがり屋が多いこのチームにおいて、誰もが自由活発に意見を発せる雰囲気を醸成すべく、率先して自らのパンツを犠牲にし”汚れ役”に徹するなど己の羞恥心と葛藤しながらも役割を全うしている次第です。温か目で見守って下さい、宜しくお願いいたします。
只今日曜の22時、浜松へ帰る新幹線でこのブログを書いております(冒頭部分のみ)。このような生活を始めてはや3年となりました。LBBRBには私のように週末になれば都会にやってきてボールを蹴り、また日曜の夜には列車に揺られ田舎に帰る「地方組」がいます。皆様にも是非存在を知って頂きたいので、簡単にメンバーを紹介させて頂きます。
①三上佳貴 背番号3 愛知県
②子どもの国から抜け出した見た目は子ども中身はこども 森田達見 背番号7 岐阜県
③わたしが女だったらLBBRBで彼氏にしたいランキング1位 神舎宏 背番号1 福岡県
そして私。皆”みかんの皮の汁を目に入れるゲーム”で流す程の涙の中、遠いお国に飛ばされた訳ですが、それでも今このチームでサッカーさせて頂いています。都リーグ、関東リーグに所属するどのチームを見渡しても地方在住者が都(関東)リーグの試合に出場していることはないと思います。それだけ大変なことです。改めてご支援頂いている皆様に感謝申し上げます。また今後は格別の思い持ってプレーしているこの「地方組」にもご注目頂けますと幸いです。
さて、本チームの今年の目標は「関東2部昇格」であります。しかし、前身の慶応BRB時代を含めると一昨年、昨年と2度昇格を逃してきました。特に2年前は都1部リーグ1年目にして2位と、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのまま関東入れ替え戦に挑むも、昇格まであと一勝のところで”ジョイフル本田つくば(現在関東1部リーグに昇格)”さんに0-1で屈しました。スコア上は僅差ですが、チーム・個人としても大きな差を感じた一戦で、関東昇格がいかに高い壁であるかを思い知らされた試合でした。相手は週6日?トレーニングをしているようなチーム、更に土日連戦という過酷な日程。例え平日はサラリーマン集団であろうとこういったチーム、環境に討ち勝たなければ関東昇格も成し遂げることは出来ません。
あれから2年、チームは一新し、能力のある選手が多く加入、またトレーニング強度も高くなりチーム力は確実に上がっています。しかし、あの関東参入戦の独特の雰囲気、厳しさを知る者はもう半分といません。私はこの経験をチームに還元すること、またこれまで一緒にプレーしながらも様々な事情でチームを去った仲間の想いも背負いLBBRBを関東昇格に導くことこそ自身の使命と考えております。多くのことは出来ませんが、このチーム、この仲間と共に目標を達成するためサッカー人生を賭けて戦いたいと思います。また、これからサポーターの皆様と一緒に戦えることを心より楽しみにしております。今後とも変わらぬご支援、ご声援のほど宜しくお願い致します。
【監督コメント】
加美との出会いは、彼がまだ大学四年生の頃の2010年秋でした。すでに他チームに入団が決まりかけていた彼を必死に口説いたことを覚えています。ヨシキ(同期主将の三上)とともに入団を決めてくれた時には本当に嬉しくて、「来た。ついに来た。俺たちの黄金時代が始まる。」そう信じていました。
その半年後、加美に浜松配属が発令されました。。。「東京に戻ったら必ずBRBでやります!」そう言いながら、加美は浜松へと発ったのです。その言葉を信じた自分が馬鹿であったと気づくのに、そうそう多くの時間はいりませんでした。加美が浜松でのゴルフ三昧の生活を満喫しているとの情報が私のもとに届いていました。さらに1年後、東京都リーグ2部昇格を決め、開幕を控えた3月。加美を呼び寄せました。「たまにはグラウンドに顔出せよ。」と。おそらく軽ーい気持ちでグラウンドにやって来た加美。いきなり東大との練習試合に出させられ、早々と足を攣っていました。「おまえ、サッカー人生をこれで終わりにしてもいいのかよ。アスリートの世界は一度離れたら二度と戻れないんだ。」「・・・・。」「とりあえず、二週間後の開幕戦に来い。」 二週間後、言われるがままに再び東京にやって来た加美。出番は後半8分。綺麗なボールコントロールから、右サイドを崩すスルーパス。それがゴールに結びついたかまではこの老いぼれの記憶に残っていませんが、あのタッチ、あのタイミング、あのスピードは、私に大きな夢を抱かせてくれました。この日から加美との冒険はスタート。「地方組」第一号の誕生です。
今年で早三年。加美は毎年「今年が最後。」という思いでやってきたことを、私は知っています。一昨年、去年と、敗れて流した涙。「加美のサッカー人生において、このチームに来たことは幸せだったのか。」そう自問自答したりします。『やればできる』(彼の母校の校訓です)の精神が加美に宿っているかは定かではありませんが、私は彼にできるまでやらせます。「俺たちと共に関東昇格」それだけはやり切って引退してくれ。