リレーブログ

Mar 02, 2016 9:48 am

リレーブログ:10 中川靖章

皆さまこんにちは、中川靖章(ナカガワヤスアキ)と申します。
→中川選手のプロフィールはコチラ

昨季1月に加入し、関東参入決定戦を持ってLB-BRBを退団させて頂きましたが、今回リレーブログに遅ればせながら寄稿させて頂きました。以下長々と恐 縮ですが暇潰し程度にご高覧下さい。(三十路手前にもなると、迎合したり、話を合わせたり、自分の思ってもいないことを言ってみたりと、空気を読んでばか りになりがちですが、何かいい機会でもあるので、想いのままに感じた事、感じている事を書いてみたいと思います。)

私は、2006年に慶應大学に入学し、ソッカー部に4年間在籍、その後2010年に商社に就職し、会社のサッカー同好会で2014年迄プレーしておりまし た。僭越乍、大学4年の時に主将をさせて頂いており、それからのご縁もあって2015年シーズンはLB-BRBでプレーさせて頂くこととなりました。(慶 應大学ソッカー部に在籍時ゲキサカで主将戦記なるものを書いていましたので、良ければ此方で私の人となりを知って頂ければと思います。→中川主将戦記ブログはコチラ

さて、かれこれ24年もサッカーをしてきましたが、本当の意味で「引退」だなぁと今、感じています。それは本当に燃え尽きたなぁという事に他なりません。 今だから言える話でもありますが、私はサッカーに対してさほど執着が無く、正直プロサッカー選手になろうと思った事は一度もありませんでした。幼い頃大好 きだったサッカーも、歳を重ねる毎に、それそのものの楽しさ以上に、チームや組織が目標を目指す中でのドラマや人間的成長に魅力を感じ始める様になりまし た。

LB-BRBに加入する事になった最大の理由も「またあの黄色のユニフォームを着たくなった」と言うのでは無く(申し訳ございません。)、「会社員6年目 になって少し天狗になっている自分に喝を入れ、新たな刺激を入れて何か成長できないか、きっとその先に忘れられない思い出ができるはずと思ったから」で す。

少しだけ振り返ります。高校3年の国体で全国優勝を目指しベスト8で破れ、そこでサッカーは辞めようと思っていました。それでも一緒に選手権もやろうとい う静岡高校サッカー部同期や後輩の想いに動かされ、選手権までサッカーを続けていたところ、須田監督(現慶應大ソッカー部監督)や大石元監督・井田静岡学 園高校サッカー部監督(共に静岡高校OB、慶應大学OB)に声をかけて頂き、慶應大学へ進学を決意しました。

その後大学では、元LB-BRB主将のゲンキやイチと出逢い、誰よりもサッカーに対しストイックに情熱を捧げたつもりです。マチ(現横浜Fマリノス)やオ リ(現Cerveza)と4年間戦い、私の中に「サッカー」というものは、”全てを注いだ過去のもの”となっていました。
そして社会人生活でやるはずの無かったサッカーですが、東京都社会人選抜に出逢い、社会人として働き乍サッカー選手としても一流を目指すという目標が、僅 かなサッカーへの情熱を滾らせ、サッカーを続けさせてくれました。2013年東京都大会での準優勝は、私の中で何とか燃えていたサッカーの灯火を全て昇華 させ、これでやり尽くしたかなと思っていました。

凄く脱線しましたが、福田さんに最初に声をかけて頂いたのは、そんな2013年でした。
前述のとおりで、残念ながら当時の私には、LB-BRBで戦う為の「ガソリン(情熱)」は残っていませんでした。イキがっていた事もありますが、サッカー より、自己研鑽の為には、語学やビジネススキルを上げる勉強の方が重要だと思って、その時は、一度お断りさせて頂いていました。

サッカーから距離を置いた2014年は、正直カラ回りを続けていたと思います。なかなか勉強も上手くいかなかったですし、所属していた三菱商事サッカー同好会では、胡座をかいていて、人間的な成長もできずにいたと思います。

奇しくも同年LB-BRBは昇格を逃し苦しいシーズンだったという事もあり、2014年末、福田さんから再度声をかけて頂きました。私は、失った情熱をど うやってこのチームに捧げられるのか、ずっと悩んでいました。実力以上に高く評価してくれる福田さん、人見さんに、何度も「期待しないで下さい」と言った のを覚えています。
それでも加入という決断に至ったのは、このチームの向上しようとする姿勢、新たな仲間との出逢い、そしてソッカー部で共に戦った仲間に感じた”このチームで過ごした時に得られるであろうワクワク感”でした。

シーズンの振り返りは、極力端折りますが、この一年で自分自身に新たな発見と成長がこんなにもあったのかと思うと本当に幸せな1年でした。スタッフ、先 輩、同期、後輩の姿に、負けてられないぞという気持ちが蘇り、なかったはずのサッカーへの情熱がドクドクと沸き立ってきた時にチームの魅力を再認識しまし た。
中国で生活しながら週末帰国して試合にでたり、新たなポジションに挑戦したり新鮮なチャレンジもありましたし、元日本代表の林ヘッドコーチに、インサイド キックを学んで実際にコツを得た時は、まだこんな基礎的な技術の部分でも変われるんだなぁと驚きました。新たな挑戦、探究、自分自身の発見も満載でした。

そして何より、順風満帆の私とは裏腹に、悔しい想いをしながらも懸命にチームメイトとして戦ってきたスタッフや仲間から学んだ事は計り知れません。ゲンキ は苦節もあっただろうけど素晴らしいキャプテンで、優しくて偉大なリーダーでした。イチの献身性はマネできないし、岡ちゃんもDスケも秘めた想い持って必 死に練習してるのを知ると胸が熱くなりました。セイの膝の怪我俺が負ってたらサッカー続けられてるかなぁ、シンゴさん居なかったらこのチーム成り立たない よな。。。と、全員分名前を挙げて語り尽くせないくらいリスペクトする事ばかりで、自分の不甲斐なさやちっぽけな虚栄心をいつもいつも反省させられるほど このチームのメンバーに学ぶ事は膨大でした。試合にでれずとも努力を継続することがどれだけ辛い事で、どれだけすごい事であるのか、運営がどれほど力が要 る事で犠牲を払っているのか、(私に語れるものでは無いと思いますが)、私はこれまで以上に感謝の気持ちを深く心に宿しプレーできる様になったと自負しま す。モノゴト両側面あって、良い事の裏にある苦労や悲しみにどれだけ心を寄せられるのか、一方苦しくてもそれを乗り越える為にどれだけ腐らずに続けられる のか、まだまだ私の課題だと思いますし、今更そんな事を?という様に思われてしまうかもしれませんが、LB-BRBというクラブでチームメイトの姿から一 番強く学んだことです。

今、米国Houstonに赴任して北米を周りながら仕事をしています。従い、チームを退団し、2016年シーズンは、地球の反対側から応援する事にさせて 頂きました。話が飛躍しすぎるかもしれませんが、私はLB-BRBの卒業生として、LB-BRBの活躍を願うと共に、少しでも自分がこのクラブで学んだ事 を活かせればと思っています。此方ではAsia人に対してのDiscriminationもなんとなく心の裏側に感じたり、英語力で交渉の主導権を握られ たり、なかなか日本で味わうことの無い大変さを感じることもあります。そんな相手に理解してもらう為にどうするのか、どう打開するのか。両側を知ること や、献身的な取組み、強い心、純粋な気持ち、こうした仲間のリスペクト出来る処、仲間から学んだ事が大事なポイントなのかなぁと感じています。インサイド キックと同じで、語学力という基礎的な部分もまだ成長させられるんだとも思います。場所は違えど、これからもチームメイトという気持ちで仲間に学び、負け じと此方で切磋琢磨して、これから社会と未来を創る人材になれるよう精進したいと思っています。

優等生の定型句になってしまいますが、このチームで過ごした1年間は、私にとって大きな財産でした。心からそう思いますし、沢山の事を教えて下さったスタッフ、チームメイト、そして応援して下さった皆さまには深く感謝しています。ありがとうございました。

最後に、リレーブログを面白く書けなかった事、これは私の”ノビシロ”だと思ってます。これから続くメンバーの、オモシロすぎるリレーブログを見て、また学びたいと思います。

■監督コメント
中川靖章。通称「ヤス」。
2009慶應ソッカー部永遠の主将。
この男の獲得に、私はまさに三顧の礼を尽くしました。
我々クラブの正統性を示すためには、慶應と東大両校を代表しうる存在が常に、卒業後一度は我々のユニフォームに袖を通すという既成事実を作り続ける必要があります。
いずれ我々がJのステージに、いや、クラブW杯のステージに立つ時、果たして何人の両校OBがいるでしょうか。もしかしたらゼロかも知れません。その時に周囲は我々をどのように見るか。ある人は「これは慶應のチームでも東大のチームでもないよ。」と言うかも知れません。
ある意味で正解です。なぜなら、私はそもそも両校の学閥チームを作るつもりなんてさらさらないからです。

東京のど真ん中で、東京の経済力を取り込むようなビッグクラブ。
ただ強いだけじゃなく、社会から尊敬されるクラブ。
政界も財界も官界も熱狂させるようなクラブ。

そんなクラブを作る過程を両校OBが担ったという事実。
人生を賭して、このクラブを作り上げたという事実。
それさえあれば十分だと思っています。

それらを達成するために、換言すれば、このクラブの物語を作り上げるために、ヤス獲得は欠かせませんでした。
なぜヤスなのか?
後にも先にも象徴的なキャプテンはたくさんいるではないか?
その問いに対しては、このクラブ発足の経緯を知って頂く必要があります。

2010年の発足当時に集ったメンバーは、、、
慶應ソッカー部B&Cチーム連合軍。

それはそうです。
今でこそJFLだのJリーグだの口にしていますが、つい5年ほど前は、東京都4部リーグに所属し試合の時にだけ集まる同好会的なチームだったのです。
競技志向が強く、ましてや、大学時代にトップレベルだった選手達が来てくれるわけがないのです。

しかし、大学時代に陽の目を見ることがなかった者達が、今のチームを作り上げたのです。
大山元輝(→リレーブログはコチラ)や市川慎二(→リレーブログはコチラ)をはじめとする雑草軍団が作り上げたチームにヤスを呼びたい。
ヤスに「仲間に入れて欲しい。」と言わせたい。
そして、ヤスと一緒に関東リーグに昇格したい、、、。

そんな思いを実現した2015年11月28日(→昇格決定戦の詳細はコチラ)。
関東昇格を賭けた戦いに、わざわざヒューストンからかけつけたヤス。
応援のためではなく、ピッチで戦うアスリートとしての凱旋帰国。

出番は後半20分過ぎ。
その数分後にヤスがつないだボールから生まれた決勝ゴール。
全ての物語はここに完結せり。
2015年シーズンのリレーブログは、今回をもって終了です。
今晩(2016年3月2日)の新体制発表を経て、正式に2016年シーズンがスタートです。
筋書きのないドラマを紡いでいくことにより形作られていくクラブの大きな物語。
2016シーズンもまた新たなドラマが生まれます。

引き続き温かいご支援賜われますと幸甚です。

LB-BRB TOKYO
監督 福田雅

33

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Feb 23, 2016 10:30 am

リレーブログ:7 森田達見

皆さま、はじめまして。背番号7の森田 達見です。
→森田選手のプロフィールはコチラ

まずは、昨年度目標としていた関東リーグ昇格を果たせたことをご報告させていただくとともに、感謝を申し上げます。何を書こうか、このチームに入ってからたくさんのことがあり決めきれないので、大雑把にこのチームでの振り返ってみたいと思います。
長くなるかもしれませんが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

慶應ソッカー部を卒業し、プロにならずに就職した時点でサッカーはおしまいでしょ、と自分で決めていたので元々は社会人サッカーに乗り気ではありませんでした。それでも、現役当時からお世話になった諸先輩方に熱心に誘っていただいたこと、そして監督の福田さん、人見さんからこのチームの方向性や、その過程における期待を仰っていただいたので入団することにしたことを記憶しています。

関東昇格を果たした今でこそ、この時の決断を本当に良かったと思えてます。大学までのサッカー中心の生活とは違い、なんでもない社会人生活を送るところでしたが、改めて刺激的な世界に引きずり込んでいただけて、感謝しています。

さて、僕はこの3年間、サッカーをしに中津川(岐阜)-東京を毎週往復する、所謂「地方組」の1人でした。資金面における多大なるサポートに、感謝してもしきれません。チーム関係者、スポンサーの皆様には心より感謝申しあげます。
ここだけの話、実際3年間往復するのはかなりきつかったです。日曜日の夜遅くに試合をし、終電で岐阜に帰り、午前1時前に岐阜の家に着くのが毎週のルーティーンでした。平日もチームメートはフットサルやジムでトレーニング出来る中で、岐阜県の山奥にそんな環境があるわけもなく、1人で黙々と週末に向けて何かするしかありません。正直、サボろうと思えばサボれるし、誰にもバレません。(笑)そんな環境の中でコンディションを落とさないように取り組もうと思えたのは、間違いなくチームのみんなの熱量がすごく、引っ張ってもらったからだと思います。3年間かかりましたが、これらが報われて嬉しい、というよりはホッとしています。

さて、話は変わりますが、このチームの良さは「サッカーへの熱量」だと思っています。社会人サッカーは、学生やプロと違い、時間や仕事、プライベートなど数多くの制約が存在するので、犠牲が多いです。その中でこのチームのサッカーへの熱量は群を抜いており、それがチームの強みになっていると思います。これは今のチームだけでなく、前身の慶應BRBを支えてきた方々から受け継がれているものだと思います。慶應東大OB以外の選手も増えたLB-BRBですが、チームの根幹にある部分は変わらずに続いていって欲しいと思います。

僕は今のところは2015シーズンをもって、このチームから離れようと思っています。まだまだ上を目指すチームですので、今の自分のようにモチベーションやサッカーへの犠牲心に不安が少しでもある場合、中途半端にいてもチームの強みを薄めてしまうと考えるからです。
本当にこの3年間、素晴らしいチームメート、応援してくださった方々に支えていただき、幸せでした!
これからもLB-BRBの応援をよろしくお願いします!
また、監督のよく言う、アイデンティティが見つからなくなったら、サッカー始めるかもしれませんので、その時もよろしくお願いします!
3年間ありがとうございました!

<監督コメント>
基本的に私は選手を「使う」という言葉は嫌いですが、森田達見は、いわゆる「使いづらい選手」なんだと思います。そもそも、監督の思い通りに選手を「使いたい」と思ったところで、選手なんて別の人格ですし、思い通りになんてならないのが常ですが、森田はその最たるものでした。
とにかく性格的に「使われる」ことが嫌い。
無理に聞き分け良く「使われよう」とプレーすると、どことなくバランスを崩す。
森田はそんな男です。
とは言え、誰よりも、周りに「活かされる」、否、「生かされる」ことが必要な男でもあります。
身長は低いし、フィジカルも弱い。
だからこそ、うまく「生かして」やらないとピッチから完全に消えてしまいます。
「使われる」のではなく「活かされる」。
この微妙な違いがおわかりになるでしょうか。。。

そんな森田が歳を重ね、周りを活かすことで、自身も活きる道を見出しつつあった2015シーズン開幕当初。
平日の岐阜における一人ぼっちのトレーニングと週末の岐阜・東京間片道3時間の往復生活が、彼の何を変えたのか。

「今季は森田で。」

そう思った矢先に現れた大型新人達。
砂川優太郎(中央大学)、川田悠介(慶應大学)、佐藤聖(東京学芸大学)、曽山啓太(筑波大学)。
彼らは容赦なく森田の「生きる」場所を侵食していきました。
これが勝負の世界。

2015年11月28日。
我々は市原の地で関東リーグへの扉を開きました。
しかし、その決戦のメンバーリストに森田の名前はありませんでした。
彼の(往復6時間×3年間)の苦労を考えれば、5分でもピッチに立たせてやりたいと思うのが親心。
しかし、試合前にどうイメージしても、彼をピッチに送り出す可能性は他の選択肢に比して低かった。
そして、当日のキックオフ1時間半前に腹を括ってメンバー表提出。

その決断が果たして正解だったのかどうかはわかりません。
ただ一つ言えることは、自分なりに勝利を追求する過程において「無駄な雑念」は排除した決断であったことに疑いの余地はありません。

結果的に、森田は私が監督として生きていく上で必要な選択を迫り、気がつけば、私が監督として活かされることになりました。

この一年間、私は、三上、加美、森田、神舎と言った地方組をチームに召集し続けました。
彼らは、平日は地元で孤独にトレーニングに勤しみ、毎週末に電車に揺られて上京してくるという生活を続けたのです。東京組よりおそらくコンディションが悪いであろう彼らを召集し続けたのには意味があります。

日本代表の海外組は経験とクオリティをチームにもたらします。
我々LB-BRBの地方組はサッカーに対する情熱とチームへの愛情をチームにもたらしてくれました。
我々のアイデンティティを体現する存在が、まさに彼らだったのです。

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Dec 31, 2015 7:43 pm

リレーブログ:13 太田大輔

皆さんはじめまして。今回リレーブログを担当させて頂きます太田大輔と申します。
→太田大輔選手のプロフィールはコチラ

自ら志願して頂いたこの貴重な機会に、私がどのような想いを持ってこれまでクラブに対峙してきたか、皆さんにお伝えしたいと思います。
プレーヤーの中では圧倒的にベテラン(33歳)と言うこともあり、これまでのリレーブログとは若干タッチの異なる落ち着いた内容となっておりますが、ご容赦下さい。

私のこのチームとの出会いは2012年の春でした。
当時仕事で赴任していたシンガポールからの帰国を数ヶ月後に控え、一時帰国した私は、
人見さんから現在のLB-BRB(当時は慶應BRB)を紹介頂き、練習試合に参加しました。

練習試合後に当時主将であった渡邊武彦さんに「左サイドバックの5番(現在の主将)、良い選手ですね」と言って絶句されたのはどうでも良い話ですが、チームの士気は当時から非常に高く、このチームでもう一度真剣にサッカーに取り組みたいと思わせてくれたのが、たった1日の練習試合参加でBRBへの加入を決めた経緯です。
チーム加入後は、当然ひとりの選手として試合で活躍し、チームの勝利に貢献することを第一に考えてきましたが、もうひとつの役割として、比較的若い選手が多いチームの『重し』になることを意識してきました。若い選手からしたら10歳近く年の離れている私は、着ているベンチコートのモデルを含め完全なおじさんに映ったしれませんが、私にとっても若い選手とのコミュニケーションは簡単ではありませんでした。

大事な試合の前の緊張感、オフザピッチでの振る舞い、運営メンバーへの配慮などあらゆる面でチームのメンバーにはもっと大人になってほしいと思う部分がありながらも、若さがチームのストロングポイントとなる側面もあるゆえ、その良さだけは消さぬ様、十分に注意を払う必要がありました。選手・スタッフの頑張りに加えて、多くの方から多大なサポートを頂いたお陰で、今年、悲願の関東リーグ昇格を果たしたことは何にも代えがたい立派なことであり、胸を張っていいと思います。但し、我々のクラブが更に上を目指すためには、今後あらゆる面においてより大人な、より成熟したチームに変わっていく必要があると感じています。

2015年シーズンにおけるLB-BRBの挑戦は最高の形で実を結びました。
我々はこれからも歩みを止めず、まだまだ先の遥かな高みを目指して冒険を続けます。
引き続き、クラブLB-BRB TOKYOへの温かいご声援を宜しくお願い致します。

最後になりますが、これまでどんな時にも私とチームを応援し続けてくれた最愛の家族に感謝の気持ちを伝えたいと思います。『ありがとう。』

【監督コメント】
私は、引退する選手を引き留めることはしません。
過去には、追い出されているのではないかと冷たいくらいに感じた選手もいるのではないでしょうか。
もちろん、心情的にはチームには留まって欲しい。
しかし、果たしてそれが本人のためになるのか。
辞めると決断した以上、自分なりの相当の覚悟があってのことで、その決断を余程のことなく覆してはならないと思っています。
2年前の関東リーグ参入決定戦に敗れた後、私は引退を告げてきた太田大輔(以下、大輔)に怒鳴り散らしたことを覚えています。
何度もお伝えしている通り、関東リーグ参入決定戦で敗れた際の脱力感は言葉に表せません。
ましてや、社会人にとっては1年後は全く想定不能。
明日の我が身は nobody knows….
そんな状況で「来年もまた頑張ろう。」と言える者は、以下のいずれか。
①超メンタルタフガイ
②鈍感力超絶漢
③この1年間追込不足の甘ちゃん

「福田さん、来年またここに戻って来ましょう。」
そう言ってくれた者は1人もいませんでした。
それくらい、選手達も力を出し切ってしまっていて、何も残っていなかったのです。
その状況にまずは私自身が大きな危機感を抱きました。
「このままじゃいかん。前を向かねば。」
自らを奮い立たせ1人1人の戦う意思を確認して回っていた矢先、大輔からの一本のメール。

「引退します。」
「ふざけるな!おまえは自分の影響力を考えてるか?!」
「引退の連鎖を食い止めるべく、おまえがまずは立ち上がれ!!」

その後どんな言葉が続いたか、言った本人は覚えていません。
大輔は当時すでにチーム最年長の31歳。
「引退」を考えるのは至って普通。

大輔の入団は2012年、シーズン途中に30歳の誕生日を迎えました。
当時不動のツートップ(2010年卒の甲斐悠佑と毛利惣治)の控えとして最初のシーズンを終えたと記憶しています。その大輔が、翌年にはレギュラーの座を掴んで関東リーグ参入決定戦の舞台に立ち、その高い壁に跳ね返されて、さらにその2年後にリベンジを果たすとはだれが想像できたでしょうか。ましてやプロ選手ではありません。年々仕事やら家庭の負荷が大きくなっていく中で、この3年間の彼のアスリート人生は称賛に値します。

彼を突き動かしたものは何だったのか。
少なくとも、彼と同じ視点を持った選手は他にはいませんでした。
また、しばらくは出てこないでしょう。
33歳の男の「重み」と「深み」は、そこまで走り続けたからこそのもの。

大輔よ、今度こそ引退を許可します。
しかし、いまだにおまえの代わりはいないよ。


20150426-02

 

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Dec 31, 2015 6:05 am

リレーブログ:18 浅海友峰

こんにちは。LB&BRBの浅海友峰と申します。
→浅海友峰選手のプロフィールはコチラ

「恩返し」
保険の代理店業を営むかたわら、筋肉と食の研究をしている29歳独身の男です。
いつも当チームを応援頂き、誠にありがとうございます。
私ごとで恐縮ですが、このチームやサッカーに対する想いを書かせて頂きます。
チームとして、また選手としての目標は、もちろん関東リーグ昇格でしたが、それに加え個人として2015年の目標がありました。それはこのチームや愛する大学、サッカーへ「恩返し」をすることです。

私は2015年3月に6年間勤めていた会社を辞め、4月に独立しました。
会社を辞めると同時に、会社のサッカー部も辞めたので、当初は別のチームにチャレンジし、ダメだったらサッカーを引退するつもりでした。そんな折にチーム代表の人見さんと福田さんからご連絡を頂きました。お誘い頂いたというよりは、福田さんから「俺らと組んで損はねえぞ」という江戸っ子バリバリの論調にタジタジになって帰ったことを覚えています。

それでもしばらく迷っていましたが、このチームに入ることを決めたのは後輩が「一緒にやりたい」と言ってくれたからです。大学時代に一緒にセンターバックを組んだ三上、体育会寮でよく酔っ払って号泣していた大山が連絡をくれました。大学時代は本当にきつい練習が続きましたが、それを共に乗り越えた仲間からの誘いに本当に胸が熱くなり、お世話になることを決めました。(18歳の時から可愛がっていた市川(高松出身)や加美(愛媛出身)からは何の連絡もありませんでしたが、四国にそういう文化がないだけだと思います。決して寂しくなんかないのです。)

そんな想いの中入部して、自分なりに一生懸命サッカーして仕事もして恩返しをしようとしていたつもりでしたが、学ばせて頂いたことの方が多かったです。平日は必死に仕事をしながら練習をし、土日も怒鳴られ歯を食いしばって練習する後輩。会社で超重要ポストをこなされながらチームに100%の情熱をかたむける監督、ヘッドコーチ、スタッフの方々。全力で好きな男性の身体のメンテナンスをしてくれるトレーナー。宇宙人レベルのプレーと会話、経験豊富な元プロの方々。

そして心から応援してくださるスポンサー、サポーターの方々。自分は恵まれているなと心底思いながら過ごした1年間でした。

色んなことに感謝し、自分なりにピッチの内外で何が出来るかを考えて過ごさせて頂いた一年間でした。結果として、ケガや自分の実力不足であまり貢献出来ることは多くありませんでしたが、関東昇格が出来て心から嬉しく思います。本当に多くを学ばせて頂いた1年間でした。

個人的にまだ恩返しは終わっていないと思っています。2016年はどのような形か分かりませんが、引き続き恩返しをしたいという想いでサッカーやチームと関わらせて頂きたいと思っています。熱い男達が集まったこのチームを、これからもよろしくお願いいたします。

【監督コメント】
浅海友峰(以下、ユウホウ)は、変わった男です。
まず、超一流企業たる東京海上日動火災保険を今年退職しました。
今は謎の事業を営んでいます(何度聞いてもよくわかりません)。
また、サッカーでは足より頭のタッチ数の方が多いです。
幼少期の指導者はよくぞかくも特徴ある選手に育ててくださいました。
さらに、趣味は筋トレですが、持病はギックリ腰です。
医者に「もっと腹筋を鍛えろ。」と言われたそうです。
ちなみに、掲載している写真は本人のリクエストによるものですが、コメントは差し控えます。

そんなユウホウ、チームではぶっちぎりの人気者です。
慶應ソッカー部の後輩がたくさんいるとは言え、入団1年目にしてすでに川越勇治(中央大学卒、ゴールの神と仲良くはない)らを従え、チーム内では太田組に次ぐ勢力を形成しております。しかし、組員含め女性にはもてません。全く。やはり、着ているジャケットが変だからでしょうか。

ユウホウには救われました。
シーズン前半は彼のオンザピッチにおけるプレーに救われました。
東京カップから天皇杯予選までの快進撃はユウホウなくして語れません。ここまでチームにおける不動のリーダーであった三上佳貴(以下、ヨシキ)をベンチに追いやり、ピッチ上では大和田達とともに圧倒的な存在感。
悔しいですが、MVP級の活躍であったと認めざるをえません。
(なぜ悔しいか。素直に褒めるのはなぜかシャクです。なぜでしょうか。不思議です。)

後半戦は彼のオフザピッチにおける活躍に救われました。
8月のフクアリにおけるゲームで膝の怪我をして以来、彼がベストコンディションに戻ることはありませんでした。
ポジションをヨシキに譲り、ユウホウは嫌な顔一つせずに裏方ワークに徹しました。
リーグ終盤から関東リーグ参入戦にかけて、チームは異様な緊張感に包まれます。
選手達は、チーム内における個人レベルでの戦いと、チームとしての戦いを両立させねばなりません。
その狭間で、各人の心は大きく揺れます。
ガキの頃から思い知らされてきたチームスポーツの宿命。
その微妙な各人の心理状況とチームの緊張感をどうマネージするかで、結果が大きく変わります。
それに耐え切れず崩壊するチームを何度も見てきました。
選手として、また、監督としての私の経験上、監督からの正論は選手の心に響きません。
もう理屈のレベルではないのです。
ユウホウがそこにいたこと、それは計算されたことでも何でもなく、単なる巡り合わせ。
数字では表せない勝負の綾がそこにあります。

今シーズンの結果はご覧の通り。
この一年間、ユウホウが思い描いていたサッカー人生だったかどうかはわかりませんが、背のデカさや顔のデカさ以上に大きな存在感を発揮してくれたユウホウに感謝しています。

ただ、来シーズンはジャケットのセンスを変えて欲しい。

image浅海

 

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Dec 25, 2015 1:42 pm

リレーブログ:15 黄 大俊

皆様、初めまして。背番号15番のMFの黄 大俊(ファン テジュン)でございます。
→黄大俊選手のプロフィールはコチラ

この度は、巡り巡って私がリレーブログを書くことになりました。チームメイトが繋いでくれたタスキをしっかり受け取り、乏しい文章能力ではありますが、自分の気持ちを素直に綴りたいと思います。(面白いことは期待しないでください…笑)何を書こうか非常に迷いましたが、このチームに加入するまでの感動的なストーリー(笑)、関東昇格が決まるまでの葛藤などなど、少々長くなりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いでございます。
まずは簡単に自己紹介から。群馬県前橋市出身の27歳独身で、国籍は韓国。俗に言う在日コリアンです。中学までは群馬の群馬朝鮮初中級学校へ通い(一応2ヶ国語はペラです笑)、高校は前橋育英高校、大学は東海大学を卒業しました。大学卒業後はJFLのホンダロックに入団し、2年プレーした後、J2のザスパクサツ群馬へ移籍。ザスパで2年プレーし、ちょうど1年前に契約満了の提示を受け、色々悩んだ結果、【引退】という決断を致しました。現在はLB-BRBの事務局として活動する傍ら、代表であり、監督でもある福田さんのご紹介で、税理士法人福島会計という素晴らしい職場で日々苦手な数字とにらめっこしております。

ご覧頂いた通り、私は慶應卒でも東大卒でもありません。
まずはこのチームに入ることになった経緯から話そうと思います。ちょうど去年の今頃、ザスパクサツ群馬を契約満了になり、12月3日に行われたトライアウトを最後に1度は現役を引退する決意を致しました。正直、他のチームからオファーがなかった訳ではありません。ありがたい事にプレイヤー以外、サッカー以外の魅力的なお話もたくさん頂きました。そんな中でいろいろと悩んだ結果、出した答えが【引退】でした。
小学校1年生から始めたサッカー…気付けば20年もプレーしていました。今までどれだけの時間と情熱を費やし、さまざまな物を犠牲してきたかは計り知れません。福田さんがよく口にする『サッカーに育てられた』という言葉。まさにその通りで、ファンテジュンという人間はサッカーを通じてたくさんの素晴らしい仲間と巡り会い、サッカーを通じて国内外さまざまな土地へ行き、サッカーを通じて多くの貴重な経験をしてきました。サッカーをしていなければ、今のファンテジュンという人間はいないと思います。そこまで人生をかけてきたサッカーから離れるというのは苦渋の決断でした。

【引退】を決断したはいいものの次への一歩をどう踏み出せばいいかがわからず、
毎日フラフラ遊び歩いていました。(一回リセットするために笑)
そんな私に、3月頃だったでしょうか。年子の弟であり、慶應卒で京都サンガでプレーする黄大城(ファンテソン)から一本の連絡がありました。「アニキと会いたいって人がいるんだけど、どうする?」その頃、遊び歩きながらもいろんな方とお会いし、自分の感性を磨いておりましたので(かっこよく言うと笑)、まぁ~誰だか知らないけど、1回ぐらい良いかなという軽い気持ちで会いに行きました。その際にお会いしたのが福田さんであり、コーチの林健太郎さんでした。そこで自分の現状を話し、チームの生い立ちや実態など、様々なお話をさせてもらいました。仕事をしながらサッカーをするという二足のわらじ。しかも練習場所の確保も困難で、週に2、3回トレーニングするのがやっと。JFL、J2にいた頃とはかけ離れた世界でした。『当分サッカーはしたくないし、断ろう』というのが正直なところでした。(本音で書いてるんで許してください笑)しかし、その後も熱心に声をかけて頂き、少しぐらいいいかなと思い、試しに何回かチームの活動に参加してみました。こんな感じで、初めは軽い気持ちで福田さんとお会いし、軽い気持ちでチームの活動にも参加しました。

チームの活動に参加するにあたり、最初は実家のある群馬から週末になると都内に通うという生活を何週間かしておりました。その中で、次第に自分の心境の変化に気付き始めました。

『やっぱサッカー楽しい』

そこで私はもう一度ピッチに立とうと決意しました。私を再びそこまで掻き立ててくれたのは、このチームみんなの人間性とサッカーに取り組む姿勢です。こんな私をすんなり仲間として受け入れてくれました。(本当に受け入れてくれたかはわかりませんが、勝手に思っています笑)これもまた福田さんがよく口にする言葉ですが、
『アマチュアサッカーはいつ終わりが来るかわからない』

チームメイトはみんな一流企業でビジネスマンンをしながらサッカーしています。転勤、海外赴任など平気である世界です。現に今年1年で2人の仲間が世界へと飛び立ちました。(正直めっちゃかっこいいなって思ってます)
そんな福田さんの言葉を体現するかとのようにサッカーをできる喜びを噛み締めながらプレーしています。そしてみんなサッカーが大好きです。仕事終わりの21時からサッカーできますか?本当のサッカーバカです。笑
私が忘れかけてたモノを思い出させてくれました。
それは、【純粋にサッカーを楽しむ気持ち】
プロの世界に飛び込み、華やかな世界で好きなことを仕事にできる喜びがある反面、それでお金を稼ぎ生活するという難しさや勝負の世界の厳しさもありました。そんな中で、自分でも気付かないうちにいつしかサッカーを心の底から楽しめなくなっていたのかも知れません。

そんな私の心境の変化を察してか、福田さんは自分を高められる素晴らしい職場をご紹介してくださいました。お陰で、4月下旬からは都内に住み、GW明けからは仕事も始め、夜には週2で大原(本気になったら大原の大原です笑)にも通い始めました。(約5ヶ月続いたニート生活に別れを告げるのは寂しかったですが笑) このチームメイトは、私の1度は消えたサッカーに対する情熱に再び火を灯してくれたと共にサッカーの楽しさを改めて教えてくれました。そんな最高の仲間と共に戦った今シーズン。
このメンバーで何としても目標達成(昇格)したい…
最後に笑って終わりたい…
心の底からそう思い、走り続けた今シーズン。途中まさかの連敗もありましたが、結果はご存知の通り、最高の形で締めくくることができました。最後の関東昇格が決定する大一番で、去年まで属していたザスパのセカンドチームと対戦するとは思いませんでしたが…笑 でも試合後にザスパサポからのテジュンコールは本当に嬉しかったです。

この様な最高の形でシーズン終える事が出来たのも、支えて下さいスポンサー様、サポーターの皆さま、このチームに関わる全ての方々のお陰です。本当にありがとうございました。しかし、このチームはまだまだ旅路の途中です。立ち止まることは許されません。勝ち続けなければいけないのです。つかぬ間の休息を挟み、また走り出そうと思います。また次なる目標達成のために…
来季も可能な限り全力で戦い続けたいと思います。是非一度、会場に足をお運び頂ければ嬉しく思います。
引き続き、温かいご支援、ご声援賜りますようよろしくお願い申し上げます。

本当に長くなってしまいましたが、これで終わりたいと思います。最後までありがとうございました。

【監督コメント】
今年の1月末に飛び込んで来た「黄大俊(以下、テジュン) 現役引退」の報。
私は即座に動きました。
テジュンは、慶應ソッカー部卒で京都パープルサンガに在籍する黄大城(以下、テソン)の実兄。
このクラブを大きく変える契機となると思ったのです。
今まで慶應ソッカー部OBと東大サッカー部OBを軸に形成されていたチームでしたが、いつかは完全にオープン化され、さらに、プロ化されていくのは自明。
どこで大きく舵を切るのか。関東昇格後なのか、JFLの舞台からなのか。
明確な答えは無いものの、東京都一部リーグを突破し、関東リーグへと突き抜けるためには「覚悟を決めて今季からでもやるしかない。」と。

しかし、
「今いる選手達はどう思うのか。」
「完全サラリーマンかつアマチュアの選手達と元プロ選手の融合はできるのか。」
「そもそも、プロでプレーしていた者がこんな地域リーグで真剣にやる気になるのか。」
「もっと言うと、俺みたいにサッカーの実績も無い男を信頼してついてきてくれるのか。」
テジュン獲得は、新たなステージへ一歩を踏み出すために、避けては通れぬ挑戦でした。

一方で、テジュンにとっても新たなステージへの挑戦だったはずです。
何しろ生活スタイルが違い過ぎる。
我々が当然のように遂行している「仕事してサッカーして、サッカーして仕事する。」という生活。
日中は慣れない数字とにらめっこしながら、夜にトレーニングという生活は我々が考えている以上にストレスフルだったはずです。
しかし、テジュンはやり続けました。
素直に褒めてやりたいです。

実は、もう一つの我々の挑戦。

「引退後のサッカー選手に誇りを失わせてはならない。」

Jリーガーが戦力外通告される平均年齢は25~26歳。
すなわち、大学卒業後3~4年。
これはJリーグの構造的な問題で仕方ないとは思いますが、この年齢で一般社会に放り出されることはあまりに酷。
いわゆる「Jリーガーのセカンドキャリア問題」に、我々も向き合う機会となったのです。
私は、いわゆる大手一流企業に就職するよりもJリーガーになることの方が難しいと思っています。
そこに辿り着くまでの本人の努力、周囲のサポート、それはそれは並大抵のことではないと知っています。
だからこそ、たとえ2~3年でもそのステージに身を置いた者、多くの人に夢を与え、多くの人から応援された者は、たとえそのステージから身を退いたとしても、そんな自分の人生に誇りを持ち続けて欲しいと思うのです。
ましてや「引退後にこんな生活を送るのならば、サッカー選手なんかにならなければ良かった。」なんて絶対思って欲しくないのです。

日中どんなにお客様から罵倒されることがあったとしても、テジュンには誇り高く居続けて欲しい。
「やっぱりプロまでいった男は違うね。」と周囲の人々に思ってもらえるようにテジュン自身も弛まぬ努力をしないとなりませんが、我々クラブも彼の価値を社会に訴求する努力をし続けなければなりません。

テジュンを誇り高く。

テジュン獲得の裏に隠された我々の挑戦。
ご理解頂けましたら幸甚です。

 

CONVsneUwAAguKC

試合後のテジュン選手(右から2番目)

 

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Aug 03, 2015 10:16 pm

リレーブログ:20 筒井 寛樹

ブログ愛読者の皆様、初めまして。第5回ブログを担当させていただく筒井寛樹と申します。
⇒筒井選手のプロフィールはこちら

初回から続いております88年世代(最大の勢力を誇り、人々の記憶に残り続ける個性派揃いの代、但し自分達の記憶と物は失くしがち)のブログも今回が最後となります。宜しくお願いします。 いきなりとなり恐縮ですが、実はモスクワへの転勤が決まり、フクアリでの2連戦を最後に僕はこのチームを去り、サッカー選手としての第一線から退きます。
このブログを書いている今は7/27(mon)、僕に残された時間は13日と数時間です。試合時間にして180分。東京海上戦のキックオフの笛が鳴らされると、この180という数字のカウントダウンは再開されます。
そこで今日は今の胸中をありのままに書かせてもらいます。長くなってしまいますが、ご容赦いただき最後までお読み下さい。先ずは回想です。こうゆう胸中語る系には過去の振り返りが必須ですね。

思えば大学4年時にも現役引退を経験しましたが、その時の感情は今と少し違う気がしてます。当時は学生生活の全てを捧げたサッカーを終え、広い世界へ出て行くことに少なからず胸が躍っておりました。それに卒業後も希望すれば慶應BRBでサッカーができることも、自分に安心感を与えてくれていたのかなと今は思います。引退後はアルバイト、海外留学、学生旅行とそれまでできなかったことを始めてみました。
しかしながら、結局広い世界には飛び立てず、5年間という大学サッカー時代よりも長い間をこのチームで過ごしておりました。そして今は迫り来る引退をどう腑に落とすかに奮闘してます。夢のような時間から一人だけ先に冷めてしまうような、自分の大切なものを手放さなければならないような恐怖と闘っています。試合に出れていれば、まだこの恐怖も少しは和らぐものかとも思いますが、全社関東予選以降は怪我を繰り返し、思い描いたような引退ロードとは全く違った道を進んでおります。ここだけの話、プライベートの調子もよくありません。これは自分で撒いた種ですが、何とか想いが届くことを切に願っております。唯一順調に進んでいるのは、髪の色くらいで、着々とホームユニの色に近付いてますので、フクアリでは一目で『あー、あいつか』と気付いていただけると思います。

話を元に戻します。いつかは終わりがくることは分かっていましたし、日々全力で走り続けてこれたと思います。現に5月中旬に一度提出したブログ原稿内では、高らかに『思い残すことは何もない‼︎』と書いておりました。馬鹿でした。大有りです。まだみんなと一緒にサッカーしたいです。みんなで関東昇格を決めたいです。健太郎さんを『獅童コール』で飲ませたいです。

この5年間では数え切れないほど怒られました。交代選手として出場する前に胸ぐらを掴まれ喝!を入れて頂いたこともあります。根に持ってません。5年間で走らされた距離は思い出したくもないです。ある夏の暑い日に下半身の攣れるところを全部攣り、動けなくなったことがあります。集合時に選手の輪には勿論入れず、その後に訪れる恐怖に震えておりました。冗談です。去年からは同じ名字のトレーナーが加わりました。創造性に富んだ肉体破壊術を持つ彼には、いつか復習してやります。根に持ってますし、本気です。
社会人にもなって、まだこのような環境に自分が戻ってしまった理由、これは偏にこのチームでサッカーすることが、自分の人生にかけがえのないものになったからです。

何度悔しい思いをしても、僕はこのチームが好きだから、もっともっと成長できると思ったから、続けることができました。5年の間ではサッカー選手としてもそうですが、人として大きく成長できたと振り返ると思います。入部した当初はフワフワとしていたことは認めます。このチームにコミットする覚悟も責任感もありませんでした。しかしこのチームには色々な人の想いが詰まっており、その人達がこの環境を作り上げてくれたから、僕たちは数多ある社会人サッカーチームでは到底叶わない環境でサッカーができています。試合に出れるのは11人ですが、チームを作るのは全員です。一人一人がその状況において必要な行動を選択し、献身的に動けるからこそ、お互いの信頼関係は醸成され、一体感が生まれます。これが我がチームの最大の強さであり、このチームにいる以上はその役割を一人一人が担う必要があります。この尊さを教えてくれたのも、それが出来る人間になりたいと思わせてくれたのも、このチームの仲間であり、感謝してもしきれません。

この気持ちは怪我をして最後を迎えるにあってもブレることなく、僕の中にあります。試合に出れなくとも自分には出来ることがある、そう信じていられたからこそ、この2ヶ月これまでと変わることなく笑顔で皆の中に居ることができたと思いますし、前述しました引退への恐怖もみんなといるときは紛れてくれます。
残りの時間も自分らしくこのチームの為にできることを精一杯していこうと思います。勿論、最後まで試合に出ることは諦めてませんし、次も出る気満々です‼︎これは選手として、誰にも負けない武器があるからであり、それが絶対に必要な時が来ると強く信じれるからです。

長くなりました。つらつらと書いていたので、1日では終わらず、只今7/31(fri)の21時過ぎでございます。引退まであと9日と数時間。頭の整理は完璧ではありませんが、冒頭よりも明るい気持ちです。
皆様とフクダ電子アリーナでお会いできるのを楽しみにしております。

最後になりますが、これまで女で一つで子供3人を育ててくれた母ちゃんに感謝します。『片親だから◯◯ができなかった』とは言わせないよう、子供達の好きなことを全力でやらせてあげると決めて育ててくれたあなたの覚悟とそれを全うした情熱には、息子ながらあっぱれと言わざるを得ません。今では3人とも成人し、次男はオーストラリアで楽しく暮らしており、長女はウィンドサーフィンに学生時代を費やし、長男はあなたの見守る下でサッカーをしています。佳貴や加美と一緒にサッカーできたのも母ちゃんが家に招きいれてくれたからです。これからはスキューバダイビングでもテニスでも何でも好きなことをして、自分の人生を謳歌してもらえるが長男である僕からの願いです。週末の趣味であるサッカー観戦は僕がいなくても続くとは思いますが、それでも最後は勇姿とピッチでしか出せない笑顔を見せたいと思います。

長文にお付き合いいただき有難う御座います。今後ともLB-BRBへの熱い応援を宜しくお願い致します。

 

<監督コメント>
慶應BRB(現チームの前身)再結成当初の5~6年前、我々は、筒井に代表される「慶應大学時代には箸にも棒にもかからない選手」の集まりでした。しかし、そんな慶應ソッカー部雑草集団がチームをつくり上げ、今では、慶應のみならず他大学からも相応のレベルの選手達が集うに至りました。大学時代に脚光を浴びることがなかった者だからこそ、本当に魅力的で人を惹きつけるチームの「カタチ」を知っています。なぜなら、チームから心が離れそうだったとき、彼らを繋ぎ止めていたものこそ、チームの求心力の源だということを理解しているからです。チームに必要不可欠なものを見失うことなく、彼らはチームをつくり続けた。まぎれもなく、筒井はその功労者の一人で、今となってはチームに欠かせない存在です。オンザピッチでも、オフザピッチでも。

この5年間、筒井は誰よりも私に怒鳴られ、心折れた回数は自身のセンタリング成功回数を上回ると思います。
それでも筒井は走り続けました。誰よりも長い距離を誰よりも速く。
この5年間でチームのレベルも上がり選手層も厚くなりました。
にもかかわらず、年々試合出場時間が増えていったのは筒井くらいではないでしょうか。
何が彼を駆り立てたのかわかりません。そこまでやれるなら、大学時代からもっとやっておけよと思わずにはいられません。

その筒井がもうすぐチームを去ります。遠いロシアの地でボールを蹴り続けるのかどうかは知りません。しかし、おそらく競技としてのサッカーとはお別れでしょう。そんな状況は彼だけが特別なわけではありません。今までもそうでした。渡辺武彦(平成15年卒慶應ソッカー部主将/平成23年度慶應BRB主将)も、甲斐悠佑(平成22年慶應ソッカー部卒/平成25年度慶應BRB主将)も、藤村龍生(平成23年慶應ソッカー部卒/平成26年度慶應BRB副将)も、皆泣く泣くチームを去ったのです。社会人サッカーは永遠に続けられるようで、実に儚く、終わりは突然やってきます。だからこそ今という時間を大切にしなければならない。しかしながら、それを頭でわかっていても、なかなか実感できないもの。筒井は今まさにその現実を突きつけられ、訪れるであろう喪失感との向き合いに怯えているのだと思います。監督として、そんな彼にしてやれることは何一つありません。情で試合に出してやることもできません。勝負の世界は残酷です。そんな世界を彼が選んでしまったのです。

かけてやれる言葉は「もう俺に胸ぐらをつかまれることも、怒鳴られることもないぞ。」くらいなもんでしょうか。
ただ、彼は知らないでしょう。胸ぐらつかんでも怒鳴り倒してもついてきてくれた選手に対する監督の思い入れを。また、いかなる事情であれ、たとえそれが社会人サッカー監督の宿命であれ、そんなかけがえのない選手を失う監督の哀愁を。そんな世界を私も選んでしまったのです。

筒井① tutui2 tutui3
※写真解説
母の日プレゼントであげたサングラスとアウトレットで購入した麦わら帽子。佳貴からは高品質の日焼け止めを貰い、最近は紫外線対策バッチリで試合観戦。

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May 29, 2015 7:40 am

リレーブログ:17 加美 義人

リレーブログをご覧のみなさん、おはようございます。
今回ブログを担当させて頂きます”最近練習終りから帰宅までのスピードはチーム一”との呼び声高い、愛媛みかん大使(自称)こと加美義人です。
⇒加美選手のプロフィールはコチラ
“顔面爆撃機”三上部長のもと、レクリエーション補佐も務めさせて頂いておりますが、決して無理をして頑張っている訳ではございません。若く恥ずかしがり屋が多いこのチームにおいて、誰もが自由活発に意見を発せる雰囲気を醸成すべく、率先して自らのパンツを犠牲にし”汚れ役”に徹するなど己の羞恥心と葛藤しながらも役割を全うしている次第です。温か目で見守って下さい、宜しくお願いいたします。

只今日曜の22時、浜松へ帰る新幹線でこのブログを書いております(冒頭部分のみ)。このような生活を始めてはや3年となりました。LBBRBには私のように週末になれば都会にやってきてボールを蹴り、また日曜の夜には列車に揺られ田舎に帰る「地方組」がいます。皆様にも是非存在を知って頂きたいので、簡単にメンバーを紹介させて頂きます。

①三上佳貴 背番号3 愛知県
②子どもの国から抜け出した見た目は子ども中身はこども 森田達見 背番号7 岐阜県
③わたしが女だったらLBBRBで彼氏にしたいランキング1位 神舎宏 背番号1 福岡県

そして私。皆”みかんの皮の汁を目に入れるゲーム”で流す程の涙の中、遠いお国に飛ばされた訳ですが、それでも今このチームでサッカーさせて頂いています。都リーグ、関東リーグに所属するどのチームを見渡しても地方在住者が都(関東)リーグの試合に出場していることはないと思います。それだけ大変なことです。改めてご支援頂いている皆様に感謝申し上げます。また今後は格別の思い持ってプレーしているこの「地方組」にもご注目頂けますと幸いです。

さて、本チームの今年の目標は「関東2部昇格」であります。しかし、前身の慶応BRB時代を含めると一昨年、昨年と2度昇格を逃してきました。特に2年前は都1部リーグ1年目にして2位と、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いのまま関東入れ替え戦に挑むも、昇格まであと一勝のところで”ジョイフル本田つくば(現在関東1部リーグに昇格)”さんに0-1で屈しました。スコア上は僅差ですが、チーム・個人としても大きな差を感じた一戦で、関東昇格がいかに高い壁であるかを思い知らされた試合でした。相手は週6日?トレーニングをしているようなチーム、更に土日連戦という過酷な日程。例え平日はサラリーマン集団であろうとこういったチーム、環境に討ち勝たなければ関東昇格も成し遂げることは出来ません。
あれから2年、チームは一新し、能力のある選手が多く加入、またトレーニング強度も高くなりチーム力は確実に上がっています。しかし、あの関東参入戦の独特の雰囲気、厳しさを知る者はもう半分といません。私はこの経験をチームに還元すること、またこれまで一緒にプレーしながらも様々な事情でチームを去った仲間の想いも背負いLBBRBを関東昇格に導くことこそ自身の使命と考えております。多くのことは出来ませんが、このチーム、この仲間と共に目標を達成するためサッカー人生を賭けて戦いたいと思います。また、これからサポーターの皆様と一緒に戦えることを心より楽しみにしております。今後とも変わらぬご支援、ご声援のほど宜しくお願い致します。

【監督コメント】
加美との出会いは、彼がまだ大学四年生の頃の2010年秋でした。すでに他チームに入団が決まりかけていた彼を必死に口説いたことを覚えています。ヨシキ(同期主将の三上)とともに入団を決めてくれた時には本当に嬉しくて、「来た。ついに来た。俺たちの黄金時代が始まる。」そう信じていました。
その半年後、加美に浜松配属が発令されました。。。「東京に戻ったら必ずBRBでやります!」そう言いながら、加美は浜松へと発ったのです。その言葉を信じた自分が馬鹿であったと気づくのに、そうそう多くの時間はいりませんでした。加美が浜松でのゴルフ三昧の生活を満喫しているとの情報が私のもとに届いていました。さらに1年後、東京都リーグ2部昇格を決め、開幕を控えた3月。加美を呼び寄せました。「たまにはグラウンドに顔出せよ。」と。おそらく軽ーい気持ちでグラウンドにやって来た加美。いきなり東大との練習試合に出させられ、早々と足を攣っていました。「おまえ、サッカー人生をこれで終わりにしてもいいのかよ。アスリートの世界は一度離れたら二度と戻れないんだ。」「・・・・。」「とりあえず、二週間後の開幕戦に来い。」 二週間後、言われるがままに再び東京にやって来た加美。出番は後半8分。綺麗なボールコントロールから、右サイドを崩すスルーパス。それがゴールに結びついたかまではこの老いぼれの記憶に残っていませんが、あのタッチ、あのタイミング、あのスピードは、私に大きな夢を抱かせてくれました。この日から加美との冒険はスタート。「地方組」第一号の誕生です。
今年で早三年。加美は毎年「今年が最後。」という思いでやってきたことを、私は知っています。一昨年、去年と、敗れて流した涙。「加美のサッカー人生において、このチームに来たことは幸せだったのか。」そう自問自答したりします。『やればできる』(彼の母校の校訓です)の精神が加美に宿っているかは定かではありませんが、私は彼にできるまでやらせます。「俺たちと共に関東昇格」それだけはやり切って引退してくれ。

 

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May 19, 2015 10:00 am

リレーブログ:3 三上 佳貴

平素は大変お世話になっております。第3回リレーブログを担当します三上佳貴です。
→三上選手のプロフィールはコチラ

“多忙な俺のプライベートを奪えるのは結婚式二次会幹事打ち合わせと池袋のマンボーだけだ”がモットーの鈍足うどん狂市川先輩よりバトンを受け今回ブログを担当させていただきます、“顔面爆撃機”こと三上佳貴と申します。顔面の迫力で全ての敵を恐怖の底に陥れるその様は本家ゲルト・ミュラーをも凌駕し、むしろゲッツェ状態に達しているのではないかとの声もまことしやかに囁かれている今日この頃であります。また、僭越乍今季は「レクリエーション部長(自称)」を務めさせていただいており、決起会、新人歓迎会等、チームの結束力向上に資する行事の企画、開催を担当しております。ちなみに、「チームの結束力向上というのはあくまで建前であって」などと目的を履き違えたことは唯の一度もございません。何卒宜しくお願い致します。

さて、私は平成23年に慶應義塾大学を卒業し、就職すると同時に、本チームの前身である「慶應BRB」に入団致しました。その経緯はと言えば「人見さんが私を勝手に選手登録してしまったから」これに尽きます。サッカー選手としてプロを目指すのではなく、一般企業へ就職すると決めた時点で、自分のサッカー人生は大学4年をもって当然に終了するものであると考えていたため、選手登録のお話をいただいた当初は「大いに肥え、衰えに衰えた酒好きのサラリーマンでもたまには球も蹴りたくなるかな」という程度のテンションだったというのが本心です。然乍今となっては、再び刺激的な世界に導いていただいたことに心から感謝している次第であります。

私は所属する会社における転勤により、現在名古屋に居を構える、所謂「地方組」の1人です。とりわけ資金面における多大なるサポートのもとで今の環境を与えていただけていることは言うまでもありません。ピッチに立った際は責任あるプレーで、サポーターの方々をはじめ皆様への感謝の気持ちを表現しなければならないと改めて強く感じている所存です。

とは言え、毎週末繰り返す江戸-尾張間の参勤交代は体力的にも応えます。元来私は自分に甘い人間なので、全体練習を行っている首都圏在住組のフィジカルコンディションにより近付けられるよう平日の夜他のジム会員達の嘲笑に晒されながら自らに鞭を打つことについても、相当な覚悟を必要とします。それでもなお、私をハードワークに駆り立てているのは、紛れも無く、このチームに対する情熱に他なりません。

私は昨季をもってこのチームを離れ、本気のサッカーから身を引くつもりでした。しかし、あまりにも非情な結末となったリーグ最終戦を経てその心情は一変し、サラリーマンとしては明らかに常軌を逸した生活をまた1年続けることを決意しました。「このチームでまだやり残したことがある」という自分の煮え切らない想いと、「このチームの力になれることが自分にまだある」という生意気な、しかしこのチームが大好きであるが故の想い。この2つの想いが今の私の情熱の源泉です。

私は大した技術を持っている訳でもなく、事実チーム内に私より上手い選手は何人もいますが、メンタル面、言い換えれば「勝つことに対する欲の強さ」や「常に前向きな姿勢」といった部分については自らのストロングポイントであると自負しております。言わずもがな、顔の表面積についても自負しております。試合に勝ち、仲間と喜びを分かち合う瞬間の快感を思えば、どんなに苦しい状況下でも私はチームを鼓舞し続けます。何があっても勝利を諦めない不屈のメンタリティをチームに伝播させることで、私は自らの存在意義を見い出したいと考えております。

このチーム、このメンバーで、必ずや今季の大目標である『関東昇格』を達成すると共に、より多くの感動を皆様と共有出来たら幸甚であります。グラウンドに足を運んでいただいた暁には、選手一同、闘志溢れるプレーをお見せすることをお約束致します。

どうか今後とも変わらぬご支援の程宜しくお願い致します。

【監督コメント】
三上佳貴。この男の存在が我々を変えました。
2010年、前身の慶應BRB再結成に際しては、当然のことながらゼロからのスタート。東京都4部リーグからのスタートは当然のことながら、何しろ部員もゼロ(正確には数名のベテランが在籍)。一期生で今でも在籍しているのは、主将の大山と市川のみですが、東京都4部リーグからのスタートとあって、大学時代トップチームで活躍していた選手の入団は甲斐悠介くらいのもの。ただでさえ大学サッカーで多くの者が燃え尽きているのに、今のクラブの形を想像できている学生なんている訳もなく、結果、我々に集ったのはゆるーくサッカーやりたい元BチームとCチームの連合軍。東京都4部リーグ参入初年度は、現在ほどチームとしての組織力もなかったものの、若さで勝利。

しかし「来年はこのままじゃ勝てないぞ。。。」。
そう思っていた矢先に入団してきたのが、この男。慶應ソッカー部主将三上佳貴。「来た。ついに来た。俺たちの黄金時代が始まる。」しかし、本人全くやる気無し。

「30分で足攣るな。。。」
「試合後の飲み会のためにだけ来るな。。。」
「腹こわして休むな。。。」
「頼むからそれ以上ビールを飲むな。。。」
そう思い続けた入団1年目。いつしか私は人知れず「三上佳貴、本気化プロジェクト」に注力。

入団から1年経った頃、気がつけばヨシキは昔ながらのヨシキに戻っていました。影響力と顔のデカさはチームNo.1。そして、我々はともに多くの歓喜と悔しさを分かち合ってきました。高校選手権やインカレのような華々しい舞台ではありません。たかだか東京都3部リーグやらなんやら。それでも、ここに至るまでにはたくさんの物語があり、振り返れば人生におけるかけがえのない財産です。 今年で5年目になるヨシキは、日中は銀行マンを営む傍ら、夜は1人孤独にトレーニングを行い、さらに、週末は新幹線で東京へやって来ます。さすがに老いには勝てず、今季は中央からピッチ全体を見渡すセンターバックの座を大和田達に譲り、自らは右サイドバックとして脇役に徹しています。これもまた勝負に徹しているからこそ。また、ベテランとしての懐の深さがあってこそ。 大学生なら卒業してもおかしくない時間を共に過ごしてきて今思うこと。「神様、どうかこの男に1日でも長くボールを蹴らせてやってください。決して華麗なプレーはお見せできませんけど。」繰り返します。注目すべきは影響力の大きさと顔のデカさです。

 

14 20131127-03
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May 05, 2015 4:09 am

リレーブログ:24市川慎士

こんにちは。
第2回リレーブログを担当させて頂く、香川の韋駄天こと市川慎士と申します。
⇒市川選手のプロフィールはコチラ

チームのみんなからはプレースタイルが似ていることから「香川のシンジ」の愛称で親しまれています。たまに嫉妬混じりの嫌味を言われることもありますが、小さいことは気にしません。得意なプレーはスピードにのったドリブルと繊細すぎるボールタッチです。
バトンの行方を気にする声もありましたが、主将よりしっかりとバトンを受け取り、小学生時代にリレーの選手に選出された経験を生かして何があってもバトンだけは繋ぐ所存です。誠に僭越ながら、今回はこの場をお借りして、私の今シーズンに掛ける想いを綴らせて頂きたいと思います。

私は本チームに所属して今シーズンで6年目、つまりは本チームの前身である「慶應BRB」の再立ち上げ時の初期メンバーです。一昨年関東リーグ昇格を後一歩のところで逃し、昨年は関東参入戦への出場さえも叶わず、2年連続で大変悔しい思いをしました。昨年のシーズン終了時には、一線を退くことも考えました。それだけこの5年間はとても充実していながらも、辛く苦しく、負けたショックは相当大きいものであったのだと思います。
「社会人サッカーはいつ終わりが来るか分からない」常々監督はそう言います。自分がまだやれると感じた以上は、志半ばでチームを去った選手、今までチームを支えて下さった方々の想いに応えなければならない、それを考えると、中途半端な形では終われない、再度サッカーへの情熱を奮い立たせチームに残ることを決意した次第です。
やると決めたからには今年は何が何でも関東昇格を果たす。今はただただこのチーム、サッカーバカしかいないこの素晴らしいメンバーで関東昇格を果たしたい、それだけです。そのために自らが試合に出るために努力する、チームが勝つために出来ることを考え、行動に移す。当たり前のことです。当たり前のことですが、この気持ちを誰よりも強く持ち続け、姿勢として示すことが、6年目の自分にしかできない役目だと考えています。新しく加入した選手、若い選手たくさんいますが、遠慮せずに自分の気持ちに正直にもがき苦しめばいいと思います。それが、チームの伸びしろです。チームは都リーグ1部で2度足踏みしました。
我が地元うどんだけじゃない香川県では、うどんは踏めば踏むほどコシが出てくることを誰もが知っています。過去2度の足踏みはチームにとってプラスに変わると信じています。いえ、私が変えます。現在チームは3節を終え、2勝1分で暫定2位。これからのチームの粘り、そして香川のシンジの粘りに注目です。
最後になりましたが、私たちがこれほどの熱量をもってサッカーに注力し、真剣に取り組むことができるのは、周りの方々の支えがあってこそです。日々、本当に多くの方々に支えられていると強く感じ、6年目を迎えた今、感謝の気持ちは言葉では言い表せないほどです。この想いはプレーそして結果で示します。今後とも何卒宜しくお願い致します。

【監督コメント】
イチ(あえて日常の呼称とさせてください)は、ゲンキ(主将の大山)と同様にチーム結成以来6年の付き合いになります。最初に申し上げると、イチは私がチームで誰よりも信頼する男です。
しかし、皆さんがピッチ上で彼をご覧になることはそうそう無いかと思います。事実、昨シーズンにおける彼のリーグ戦出場時間は、チーム最短ではないでしょうか。移籍すればすぐにでも彼が試合に出れるチームはいくつもあり、実際に不本意ながら移籍を促したこともあります。彼は、残りわずかのサッカー人生をどのような形で終わらせるか、より具体的には、毎シーズン終了後に翌期もチームに残るかどうか、誰よりも悩み苦しんできたはずです。それでもこのチームで共に戦うことを選択してくれたイチに対し、僕は感謝と敬意の念でいっぱいです。いずれクラブが大きなステージに立った時、今のステージの戦いは取るに足らぬものかも知れません。もちろん、その時にピッチ上にイチはいないでしょう。いつかこのクラブの歴史を振り返った時、今の我々の戦いがあってこそ、また、市川慎二がいてくれたからこそ、クラブの未来は拓けたのだと、そう思ってもらえる日が必ず訪れます。
香川出身の市川慎二は「香川のシンジ」を超えて「香川真司」も超えて、必ず「LB-BRB TOKYOのレジェンド」となる存在です。皆様、お忘れなく。

④市川ゴール

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Apr 02, 2015 10:14 am

リレーブログ:【主将】5大山元輝

はじめまして。
LB-BRB TOKYO主将の大山元輝です。

この度、選手ブログの初回を担当させていただくことになりました。今回はこの場を借りて、今週末から始まる東京都リーグに向け意気込みを書かせていただきたいと思います。

今週末、2015年度シーズンもいよいよ開幕です。
3/25に開催させていただきましたクラブ設立パーティーでは多くの方々に支援いただいていることを改めて実感し、
社会人になってこのような素晴らしい環境でサッカーができることに喜びと感謝の気持ちでいっぱいです。
そんな中、過去2年間目標である関東リーグ昇格を逃しており、今年度は必ず昇格を成し遂げなくてはならないという想いが強くなり、責任と重圧も正直なところ感じております。しかし、そういったプレッシャーを感じてサッカーができることも中々できない貴重な経験でありその思いも力に変えて戦い、必ず関東リーグ昇格を成し遂げたいと思います。

個人的には今年29歳になりますが、サッカー選手としてはベテランの域に入ってきました。20代最後の今年、大きな花を咲かすべく日々精進していきますので応援よろしくお願い致します!

【監督コメント】
ゲンキは、2010年、慶應BRB再結成時のメンバーです。
早いもので、あれから6年が経ちました。
大学卒業したての入部当時のプレーはひどいものでした(詳細は割愛します)。
実際に、大学時代は一度も公式戦出場経験がありません。
大学同期には、マリノス中町や今季から入団した中川(慶應ソッカー部主将)がいますが、大学時代のゲンキは彼らの陰に隠れ箸にも棒にもひっかからない存在でした。そのゲンキに私は今シーズンの主将を託します。
昨年のリーグ最終戦に敗れ、関東昇格の夢が秋雨とともに消えた日、ゲンキはグラウンドで泣き崩れていました。
当時28歳だったゲンキは、おそらく昨シーズンでの引退を考えていたと思います。
しかし、そのゲンキは誰よりも早くグラウンドに帰って来ました。
「このチームで、福田さんと一緒に関東に。」
そう言って、敗北の翌日からゲンキは体作りを始めたのです。
そして、私をグラウンドに引き戻したのも彼の言葉でした。
ゲンキは誰よりも走り、誰よりも体を張り、倒されても必ず立ち上がります。
大学時代に一度も陽の当たらなかった男の逆襲を、サッカー人生最後の輝きを、是非ご覧頂きたいと思います。

18

 

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